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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和36年(う)190号 判決

判   決

山野章守

事件名

殺人未遂

原判決

昭和三六年一一月八日

宮崎地方裁判所言渡

控訴申立人

被告人

出席検察官

中村正成

主文

原判決を破棄する。

被告人を徴役一年六月に処する。

原審の未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

押収してあるナイフ一丁(昭和三七年押第三二号の五)はこれを没収する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人福田甚二郎及び被告人提出の各控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、これに対する当裁判所の判断はつぎのとおりである。

被告人の控訴趣意中理由不備の論旨について、

所論は要するに、原判決が挙示する証拠のみによつては被告人に内田馨を殺害する意思のあつた事実を認めることができないから、証拠を欠く理由不備である。、という趣旨に解せられる。よつて検討するに、原判決は罪となるべき事実として「被告人は昭和三六年四月三日午後三時頃から串間市内の知人宅やバー等で食酒した後、同日午一〇時過頃同市泉町「鉢の木ラーメン」こと加藤絹子方に電話で宮崎交通串間営業所々属の運転手内田馨(当時三〇年)の運転するタクシーを呼び寄せてこれに乗車し、途中数個所に立ち寄つた末漸く帰途についたが、同日午后一〇時四〇分頃肩書住居地の被告人方入口通路附近の路上まで来た際、若し家族不在の場合は更に同タクシーに乗車して他所を訪ねようと考え右内田を右被告人方に行かせてその在不在を確めさせたところ、同人が「誰もいない」と答えたため、被告人は電灯もついているのにそんな筈はないと不審に思い、降車して自らその点を確かめるべく自宅に赴いた。ところが案に違わず被告人の家族は在宅していたため被告人は右内田が嘘を言つたものと曲解して激昂の余り、車内で待たせておいた同人をその襟首を掴んで降車させたうえ酔余「お前生意気だ、刺し殺してやる。」等と叫びながら、更に右手で同人の襟首を掴んで手許に引き寄せ、刺しどころによつては相手が死ぬかもしれないことを認識しながら、これを意に介せず刃渡り約七センチメートルのナイフを左手に持つて同人の右胸部めがけて一回突き刺したが、同人が直ちに附近に住む同僚の助けをかりて病院に急行し医師の手当を受けたため、同人に対し加療約一週間を要する右前胸部刺創(長径〇、八センチメートル)を負わせたにとゞまり、殺害の目的を遂げなかつたものである。」との殺人未遂の事実を認定し、証拠の標目として数個の証拠を挙示しているのであるが、右挙示にかかる証拠によれば被告人は、家族の者が在宅するかどうかを見に行かせたタクシー運転手内田馨より「誰も居ない。」と告げられたのを、嘘を言われたと曲解して激昂し、運転席に座つていた内田の襟首を掴んで降車を促し、そのため同人が止むなく車を降りて来るや、「お前生意気だ、刺し殺してやる。」と叫びながら右手で同人の襟首を掴み力任せて手許に引き寄せる一方、左手でポケツトから折畳式ナイフを取り出し、歯でその刃を開いた上胸めがけて一回突き刺し、因つて同人の右前胸部乳線下約六センチメートルのところに肋間動脈の切断を伴う長径〇、六センチメートル深さ一、二センチメートルの刺創を負わせ、その傷からの出血多量のため内田をして意識もうろうの状態に陥る危険を感じさせた程であつたこと、右折畳式ナイフは先の鋭く尖つた刃渡り約七センチメートルのものであり殊に「刺し殺してやる。」等と叫びながら人の貴要部である胸部めがけて突き刺していること等が認められるから被告人に未必的殺意があつたと疑う余地が全然ないでもない。しかしながら被告人が右の如き行為に出るに至つたのは、被告人内田に家族が在宅しているかどうかを見に行つてもらつたところ帰つて来た同人より「誰も居ない。」と報告されたため、更に被告人自身で確かめに行き娘等が在宅していたのを知るに及んで内田が嘘を言つにと誤解したことが原因となつているに過ぎず、それ以外に被告人と被害者との間に従来から感情的な対立や怨恨があつたわけではないことも認められるので、被告人の性格が粗暴であることを考慮しても、かかる些細なことにより被告人が同人の殺害を決意するに至つたとするには殺人の動機として十分でない、のみならず被告人は内田を突き刺す直前激情に駆られていたことが認められるけれども原判決挙示にかかる証人内田馨の証言する如く被告人の「顔面が蒼になつていた。」(記録一三二丁表)かどうかについては疑わしく却つて内田は被告人から車外より襟首を掴まれ降りて来いといわれた際「降りるがな。」と言いながら自ら進んで車のドアを開けて運転台から降り、酒に酔つていた被告人より右手で襟首を掴まれて「刺し殺してやる。」等と言われていながらこれを振り切つて逃げようとせず、又被告人が左手で握つていたナイフの刃を歯で引き出す迄これに対し何等の抵抗をも示さなかつたことが認められるからその場の雰囲気が被害者自身にさえ生命の危険を感じさせる程緊迫したものではなかつたというべく、従つて被告人が「刺し殺してやる。」と言つたのも単に脅す為に言つたに過ぎずかかる被告人の言辞を捉えて真に殺意があつたと推断するのは困難である。更に被告人はナイフで内田の胸部めがけて一回突き刺しているが、突くとき右利きでであるのに左手にナイフを握つたままであり、傷が紺の制服、セーター、ワイシャツ、メリヤス、肌着の着衣を刺し通して生じたものであることを考慮に入れても生命に別条のない治療日数一週間を要する程度に止まつていることは突くときの力の入れ方がそれ程強力でなかつたことを推認できるものといわなければならない。のみならず、一回突き刺したのみで続けて刺そうとせず、又突き刺しながら被告人は内田にそれ程の傷を負わせているとも思わず、病院に行くという内田の自動車に同乗して山口利春方前まで行き、同所で内田が出血多量であることを知り「これはしまつた。」と言いながら既に就寝していた山口を呼び起こして同人と一緒に内田を病院まで運び医師の手当を受けさせたことも亦認められるのであつて、犯行後における被告人のかかる言動は行為当時被告人に内田を殺害する意思がなかつたとしてのみはじめて首肯し得るところといわなければならない。以上の認定説示によつて明らかな如く本件犯行の動機、経過、打撃の方法程度等も行為当時被告人に内田を殺害する未必的故意があつたことを認め得るに足るものではなく、又傷害の部位が右前胸部であるという事実も右認定を左右するものでない。なお原判決挙示にかかる被告人の検察官に対する昭和三六年四月一日付供述調書には「今考えると胸ではあるし場合によつては殺す結果にもなると思うし大事に至らず良かつたと思つて居ります」(記録六四丁裏)との記載があるが、これは行為当時のことを振り返つて考えてみると「場合によつては殺す結果にもなると思う」というにとゞまり、殺意のあつたことを自認しているものではないことは、その直前の「その時は内田君を殺そうと云つた気持ちはなかつたのです」という記載を俟たずして明らかであり、他に被告人が内田を突き刺すとき殺意のあつた事実を認めるべき証拠は原判決中遂にこれを発見することができないのである。そうだとすれば、原判決がその挙示する証拠のみをもつて被告人に殺意があつたと認めたのは、証拠に基かないで事実を認定した違法を冒したものというべく、この違法は判決の理由に欠けるところがある点において結局刑事訴訟法第三七八条第四号前段に該当するから原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

弁護人及び被告人の控訴趣意中事実誤認の論旨について、

所論は要するに、内田馨を突き刺すときに被告人に同人を殺害する意思がなかつたのに、原審は殺意があつたと認定したのは事実誤認である、というのである。よつて検討するに、原判決挙示の証拠によつては、原審認定のように被告人が内田に対し、刺しどころによつては同人が死ぬかもしれないことを認識しながらこれを意に介せず突き刺した事実がとうてい認められないこと前叙のとおりである。のみならず本件記録、原審及び当審において取調べた証拠を精査してみても、被告人が原判示の日時場所において、原判示の経過に従い自動車から降りて来た内田の襟首を右手で掴み力任せに手許に引き寄せ、左手でポケットからナイフを取り出し歯でその刃を開いたうえ、同人の胸めがけて一回突き刺し、因つて同人に対し加療一週間を要する右前胸部の刺創(肋間動脈切断)を負わせた事実が認められるにとどまり、更にそれ以上内田を殺害する未必的故意のあつたことまで認定するに足る証拠は存しない。そうだとすれば、原審が内田を突き刺すにあたり被告人に未必的殺意があつたと認めたのは事実誤認の違法を冒したものというべく、この違法は判決に影響を及ぼすこと明らかで刑事訴訟法第三八二条に該当するから、原判示はこの点においても破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、被告人及び弁護人のその余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により被告事件について直ちに判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三六年四月三日午後一〇時四〇分頃酔余帰宅せんとて内田馨(当時三〇才)の運転するタクシーに乗り、肩書住所地に入る露路入口附近まで来て右内田をして家族の者が在宅するかどうかを確かめに行かせたところ、帰つて来た同人より誰も居ないと告げられたので更に自ら確めに行き、家族の在宅していることを知るに及んで右内田が嘘を言つたものと曲解して激昂の余り、運転席に座つていた内田の襟首を掴んで降車を促し、止むなく同人が車から降りて来るや、右手で同人の襟首を掴み力任せに手許に引き寄せる一方、左手でポケットから折畳式ナイフ(昭和三七年押三二号の五)を取り出し歯でその刃を開いた上胸めがけて一回突き刺し、因つて同人に対し加療約一週間を要する肋間動脈切断を伴う右前胸部刺創の傷害を負わせたものである。

(証拠の目標)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二〇四条罰金等臨時措置法第三条第一項第二条に該当するので所定刑中有期懲役刑を選択すべきところ、被告人は前示前科があるから刑法第五六条第一項第五七条により再犯加重し、その刑期範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、同法第二一条により原審の未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入し、押収してある折畳式ナイフ一丁(昭和三七年押第三二号の五)は本件犯行の用に供したもので被告人以外の者の所有に属ないから同法第一九条第一項第二号第一項によりこれを没収し原審及び当審の訴訟費用につき刑事訴訟第一八一条第一項但書に従い被告人にこれを負担させないこととし、主文のとおり判決する。

昭和三七年一〇月一六日

福岡高等裁判所宮崎支部

裁判長裁判官 富 川 盛 介

裁判官 白 井 守 夫

裁判官 塩 見 秀 則

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